「専務のツブヤキ」
~研究開発プロジェクトの見直しに関する思い出~

2019年4月15日

CSAJ 専務理事 笹岡 賢二郎

 前回は1993年頃、私が当時通商産業省の鋳鍛造品課の課長補佐だった時のソフトウェア開発に係わった経験を書きましたが、当時もう一つ、高性能工業炉という研究開発プロジェクトも手掛けていました。10年後くらいにNEDOの研究評価部長になった時に分かったのですが、NEDOプロジェクトの中で唯一、 フィールドテストという形で民間の設備投資に対して国が3分の1を補助するまでになった大成功のプロジェクト になっています。

 同プロジェクトの始まりは、1992年に、ブラジルのリオデジャネイロで、初の「地球サミット」が開催されたことがきっかけでした。各国が一堂に会し、地球規模の環境問題への対応を話し合う同サミットでは、先進国に対して温室効果ガス排出量削減の指針が示されました。ちなみに、私が鋳鍛造品課に着任する直前の米国留学のテーマも原子力発電の地球温暖化対策への貢献度に関するものでした。日本の工業炉に関しては、オイルショック以来すでに様々な省エネルギー対策が講じられ、これ以上の効率化は困難と考えられていましたが、 日本ファーネス社田中良一社長(故人)が、工業炉のエネルギー効率を向上させることが可能な革新的な燃焼現象(リジェネバーナーによる高温空気燃焼)を発見 し、日本工業炉協会を中心に1993~1999年度の7年間にわたる産官学の共同開発プロジェクトが開始されました。同プロジェクトには、工業炉メーカーなど13社が参加しました。田中社長には個人的にも親しくさせて頂き、留学から帰国後も、家内と結婚した直後に一緒に食事をご馳走になり、著書も頂きましたが、残念ながらその後まもなくして他界されてしまいました。

 私が同プロジェクトに係わった時は、それが始まったばかりで、省内では全ての技術開発プロジェクトについて評価(レビュー)が行われていた時期でした。私は地球温暖化への貢献を前面に本プロジェクトの意義を説明したのですが、 業界団体の多数の企業が横並びで参加する大型研究開発によくある典型的なバラマキのプロジェクトであり、成果が出るわけがない 、とにかく大幅にプロジェクトを見直せ(予算の削減等)と言われてしまい散々な結果でした。私にとっては青天の霹靂、どうしたものかと考えた挙句、次の予算要求までに何とかしないといけませんし、とにかく見直しに着手することにしました。

 そこでまず、横並びで業界団体の主要企業が参加するバラマキと言われたことに対しては、 競争原理を導入 することにしました。そのためには、 個々の参加企業のプロジェクトへの貢献度を客観的に評価できる基準(指標)が必要 と考えて、その指標作りを日本工業炉協会に指示しました。プロジェクトの肝は高温燃焼による省エネ効果と高温燃焼により発生してしまう窒素酸化物の排出量の削減という矛盾する要求を同時に満足させる点にありましたので、それらを 定量的に評価できる指標を作成 し、実際に参加各社に適用してみました。そうすると、やはりプロジェクトに全く貢献していない企業が何社か見つかりました。それらの企業はプロジェクトに居づらくなったのでしょうか、自分からプロジェクトへの参加辞退を申し出てきました。

 また、実証炉を大手二社で一基ずつ2基製作することになっていたのですが、聞けば、その大手2社は市場で競争関係にあり、お互いのノウハウを見せたくなかったため、別々に実証炉を製作したかったようです。でも、 国プロの本来の目的は、開発された技術を参加企業が独占するのではなく、その技術を競争他社も含め全国の工業炉メーカーに普及させること であり、それ故国がお金を出すなのだから、その理由はおかしいでしょうと私は一歩も譲りませんでした。結果的に事務局に出向して来ていた方の会社に折れてもらい実証炉を一基とすることが出来ました。事業規模も当初7年間で120億円程度だったのが90億円程度に大幅に削減できたと記憶しています。私の記憶では、折れて頂いた企業というのは『鉄は国家なり』を体現する国内最大手の製鉄企業でしたが、さすが懐の深さに感謝した次第です。

 この見直し結果を次のレビューの時に説明すると、省内的に大変評価されたようでした。実は 評価した方々も通常の役人的な回答を想定して抜本的な見直しはどうせ出来ないだろう と考えていたようでした。当時、その評価を真に受けて業界内に不協和音を立てるような見直しをしてしまった私は後悔して落ち込んだものでした。というのも、当時 この見直しに対して業界内に相当不満があるらしい と課長が心配して呟いていましたが私は意に介さなかったからです。しかしながら、見直しに真摯に取り組んだことが省内で評価され、その後 要求した以上に予算がもらえる珍現象も起こり、結果的に業界からも感謝されているとその後後任から聞いて安心 した次第です。

 私はその後NEDOに出向して、自分が手掛けた高性能工業炉プロジェクトがNEDOとして大変高い評価を受けていることを知りました。役人が自分がやったことを後でフォローする機会など余程の人事の巡り合わせでもなければありませんが、偶然、その成功物語をNEDOが冊子にまとめることとなり、自分の部がそれを担当する機会に恵まれ、当時なんと幸運だろうと思った次第です。最後に、 田中良一氏のご冥福を心よりお祈りしたいと思います。

筆者略歴

笹岡 賢二郎(ささおか けんじろう)

1961年生まれ、1983年に通商産業省(現経済産業省)入省、機械情報産業局電気機器課、科学技術庁、資源エネルギー庁、立地公害局、防衛庁、工業技術院、基盤技術研究促進センター、JETROクアラルンプールセンター、文部科学省、四国経済産業局などの勤務を経て、2005年7月より新エネルギー・産業技術総合開発機構(NEDO)、2007年7月より九州経済産業局地域経済部長、2009年7月より中小企業基盤整備機構の業務統括役兼総務部長、2011年7月独立行政法人情報処理推進機構の参与兼セキュリティセンター長などを経て、2013年7月から東京工科大学にてコンピュータサイエンス学部 コンピュータサイエンス学科教授、片柳研究所所長、工学部 電気電子工学科 教授兼コーオプセンター長。2016年6月に一般社団法人コンピュータソフトウェア協会専務理事に就任。

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