「専務のツブヤキ」
~金型業界の革命児と言われたインクスとの思い出~

2019年3月15日

CSAJ 専務理事 笹岡 賢二郎

 2月26日の日経産業新聞の一面にインクスというリーマンショックで倒産(※)した会社の人たちが、その後起業したり、色々と活躍しているという記事が掲載されていました。インクスはリーマンショックの直前には西新宿の高層ビルの最上階にオフィスを構え、新卒採用者の半分が東大卒、従業員規模も500名程度に成長して、当時は飛ぶ鳥を落とす勢いの高速金型設計を売りにした会社でした。当時も経団連会長であったキヤノンの御手洗氏に「インクスを知っているか」と言わしめたほどでした。私がそんなインクスという会社と出会ったのは、確か1994年夏頃、私が当時の通商産業省で鋳鍛造品(即ち機械部品)課の課長補佐をしていた時でした。 当時インクスはまだ、従業員10数名、場所も川崎市が運営するKSP(かながわサイエンスパーク)という施設に入っており、正真正銘ベンチャー企業 でした。

https://www.nikkei.com/article/DGXNASDD2107A_Y0A620C1000000/

 私が、そのインクスの社長であった山田氏と初めて会ったのは光造形産業協会という団体の設立記念パーティでした。光造形というのは今では誰でも3Dプリンターと言えばすぐわかると思います。光硬化樹脂をレーザーで設計データ通りに積層して試作製品などの型モデルを高速で製作するものです。山田氏はそのパーティで30分ほど日本の金型産業の高度化にはどうしてもITの導入が必要だが、残念ながら、航空機の設計用に開発された海外の3次元CAD(当時はCATIA(キャティア)がメジャー)では、量産のための金型づくりには不向きなことを捲くし立てられました。正直って当時着任したばかりでしたので、彼の話は半分くらいしか理解できなかったような気がしますが、ただ、最後に彼が「 日本の大企業が海外製の三次元CADで三次元設計を始めたら、金型産業は大変なことになる。今から、金型設計機能を持った金型設計・製作専用のCAD・CAMを日本で開発すべきです 」と言ったことは耳に残っていた気がします。

 その後すぐ、偶然に情報処理振興課から中小企業の製造業向けのソフトウェア開発予算が3億円(1億円×3件)取れたけど使い道を任せたいという話がきて、それならと即断で直ぐに山田氏に電話して、パーティで聞いた話を紙にして持ってきてもらいました。当時は公募とか、競争入札とか、ややこしいことも言われない良き?時代でした。今では信じられませんが 課長補佐の一存でプロジェクトに数億円の予算が付けられました 。恐らくこれが私のソフトウェア開発に関わった最初だったと思います。ただ、その予算には一つ条件が付いていました。 開発したソフトウェアが必ず中小企業に買ってもらえること でした。当時、経産省予算の技術開発というと通常は企業の開発担当者辺りが寄ってきて、散々食い散らかした上に成果は企業側に吸い取られてブラックボックス行きというのが当たり前でしたから、これは困った、どうしようか?と戸惑った記憶があります。役人しか経験のない私に売れるものを開発しろというところにそもそも無理がありますよね。そこで、まず私は決め打ちしたインクスともう一社に 3百万円ほど渡してマーケットリサーチを指示 しました。すると中小企業がそのようなソフトウェアに出せる価格の相場観が分かってきます。販売価格はこれ以下でないと売れないと分かりますと不思議なことに、これまであれもこれもと色々な機能が必要だと言ってきたエンジニアの方々が、この機能はいらない、これも必要ないと掌を返したようなことを言いだすではありませんか、挙句の果てに、これまで技術者が打ち合わせに来ていたのが、そのうち販売・営業担当の方が出張ってくるようになりました。 私はこのマーケットリサーチを踏まえてソフトウェアの仕様を固めたところで異動 してしまいました。その後、後任などからたまたま聞けた話によると、 インクスの開発したソフトは9本、もう一つの鋳造用のソフトは40数本売れ そうで、ホッとしたことを覚えています。

 実は、山田氏は 2003年ダイアモンド社から「インクス流!」という本を出版 していてこの時のエピソードが 67~70ページにインクス「高速金型システム」開発経緯 として描かれていました。彼が私のことを本に書くので了解を取ろうとしたらしいのですが、私はその時経産省からたまたまどこかに退職出向していて秘書課が笹岡さんは経産省を辞めましたと伝えたらしく、暫く私はその本のことを知りませんでした。その後ひょんなことから彼と再会を果たし、本の寄贈を受け、そこに自分のことが書かれていることを知った次第です。その後、山田さんは社長を退き、大学の先生などをしていたようですが、今はどうしていますかね。また、会えたら昔話で花が咲いて、うれしいと思いますが、、、

筆者略歴

笹岡 賢二郎(ささおか けんじろう)

1961年生まれ、1983年に通商産業省(現経済産業省)入省、機械情報産業局電気機器課、科学技術庁、資源エネルギー庁、立地公害局、防衛庁、工業技術院、基盤技術研究促進センター、JETROクアラルンプールセンター、文部科学省、四国経済産業局などの勤務を経て、2005年7月より新エネルギー・産業技術総合開発機構(NEDO)、2007年7月より九州経済産業局地域経済部長、2009年7月より中小企業基盤整備機構の業務統括役兼総務部長、2011年7月独立行政法人情報処理推進機構の参与兼セキュリティセンター長などを経て、2013年7月から東京工科大学にてコンピュータサイエンス学部 コンピュータサイエンス学科教授、片柳研究所所長、工学部 電気電子工学科 教授兼コーオプセンター長。2016年6月に一般社団法人コンピュータソフトウェア協会専務理事に就任。

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