「やさしい情報経済論」その26 標準を巡る争い
2015年4月15日
CSAJ 専務理事 前川 徹
標準化戦争
情報財ビジネスを語る上で規格や標準を巡る争いを避けることはできない。特に情報財のコンテナである媒体の記録フォーマットの規格・標準を巡っては何度も激しい争いが起こっている。たぶん、最も有名な標準化戦争はビデオ・カセット・テープの「VHS方式 vs. ベータ方式」だろう。これは第20回の「ネットワーク外部性とWinner Takes All」で取り上げたので、そちらを参照していただきたい。同じように小型のビデオ・カセット・テープでも「VHS-C vs. 8ミリビデオ」の争いがあり、比較的最近では「HDDVD vs. ブルーレイ」の争いがあった。
こうした規格・標準を巡る争いは新しい技術やサービスの普及期には避けがたいものではあるが、争いが長引くと新技術市場の成長を阻害することもある。
たとえば、1970年代から80年代にかけて、米国ではAMラジオのステレオ放送を巡って標準化戦争が勃発した。そもそもAMラジオによるステレオ放送の実験は1950年代から始まっていたのだが、1970年代に入って、テレビやラジオの送信機メーカーであるHarris、家電メーカーであるMagnavox、通信機器メーカーであるMotorolaなど5社がAMステレオ放送の申請をFCC(連邦通信委員会)に提出した。FCCは5年間の試験を行った後、1980年にMagnavoxの規格を標準として採用した。しかし、このFCCの決定に対してさまざまなところから非難が殺到し、この標準化に対して無効の申し立ても行われた。結局、1982年にFCCはAMステレオ放送の標準を取り消し、全ての方式を認可する決定を下し自由競争に任せた。
ラジオの受信機メーカーは複数の(場合によってはすべての)方式に対応できるラジオをつくることができるが、放送局は、複数の方式を採用することは技術的に困難であるため、いずれかの方式を採用するか、あるいはステレオ放送を諦めるかの二者択一を迫られることになった。当然、市場の趨勢を見極めようとする放送局が多くなり、極めて低調な市場競争が約10年続いた。その結果、1993年にFCCはMotorolaが開発したC-QUAM方式をAMステレオ放送の標準として採用するという決断を下したのだが、より音質の良いFMステレオ放送というライバルの出現もあり、AMステレオ放送はほとんど普及することはなかった。
多くの放送局がAMステレオ放送に消極的な態度をとったこと、そのため、AMステレオ放送が受信できるラジオを購入する消費者も少なかったことが原因であるが、さらに原因を突き詰めると、すべては市場の混乱が原因である。
この事例から分かることは、新しい技術の標準を巡って、複数の企業が互換性のない技術で競争を行うと、新技術の市場が成長する機会を奪ってしまうということである。
デファクトとデジュリ
標準にはデジュリ・スタンダード(de-jure standard)とデファクト・スタンダード(de-facto standard)があると言われている。前者は公的標準であり、後者は市場競争の結果として事実上市場の大勢を占めることになった技術的な規格や製品のことである。
先に述べたAMステレオ放送の方式の事例は、当初はデジュリ・スタンダードを巡る争いであったが、FCCが一旦下した決定を取り消したことからデファクト・スタンダードを巡る争いになったというものである。一方「VHS方式 vs. ベータ方式」は当初からデファクト・スタンダードを巡る争いであった。
国際的なデジュリ・スタンダードを策定している機関としては
- IEC (International Electrotechnical Commission)
- ISO (International Organization for Standardization)
- IEEE (Institute of Electric and Electronic Engineers)
- ITU (International Telecommunication Union)
などがある。
一般的に、デジュリ・スタンダードは、標準化メリットを関係者が平等に共有でき、標準化の手順や内容がオープンであるというメリットがあるが、一方で標準化までに時間を要する、技術革新が反映されない、一部の関係者が知財権を主張すると使われない標準になるというデメリットがある。
一方、デファクト・スタンダードは(デジュリ・スタンダードに比べて)比較的迅速な標準化が可能であり、開発者にインセンティブが働くため技術革新が反映されやすいというメリットがあるが、一部の企業が標準化メリットを独占(あるいは寡占)する可能性がある、情報公開が不完全になりやすい、業界内での規格の調整過程が不透明である、市場競争の結果として敗者となった製品の利用者が不利益を被るというデメリットが指摘されている。
この両者のメリット/デメリットを踏まえ、新技術を製品化する前に、複数の企業が協議して共通の規格を策定するケースがある。これを「コンソーシアム型標準」と呼ぶ。たとえば、8ミリビデオやDAT(Digital Audio Tape)は、複数の企業が懇談会をつくり規格を決定した。DVDの場合には、対立していた2つの陣営が話合いによって規格を策定した。このコンソーシアム型標準は、その規格を用いた商品の開発に不可欠な特許の取扱いが問題になる可能性があるが、技術が複雑化する情報産業分野における標準化の一つの解決策となっている。
次回は、標準を巡る企業戦略を事例を通して考えてみたい。
筆者略歴
前川 徹 (まえがわ とおる)
1955年生まれ、1978年に通産省入省、 機械情報産業局情報政策企画室長、JETRO New York センター 産業用電子機器部長(兼、(社)日本電子工業振興協会ニューヨーク 駐在員)、情報処理振興事業協会(IPA)セキュリティセンター所長 (兼、技術センター所長)、早稲田大学 大学院 国際情報通信研究科 客員教授(専任)、富士通総研 経済研究所 主任研究員などを経て、2007年4月からサイバー大学 IT総合学部教授。2008年7月に社団法人コンピュータソフトウェア協会専務理事に就任。